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少しでも私のことを知っていただければと思い、プロフィールを作成しました。
拙い文章ですが、河内長野市 牛嶋歯科にお越しになる前にぜひお読みください。
まずは私の幼いころの思い出から。
小さい頃は、理科・科学が好きで、少し病弱でした。病弱といってもずっと入院しているとかではなく、夏は浜寺の"水練学校”(今 で言う「スイミングスクール」です)に通っていましたし、冬には父といっしょにスキーにも出かけていました。あと、自転車に乗って、友達の家に遊びに行くことが好きでしたね。
ある夏、家族で海水浴に行く前日から腹痛になったことがあります。「これでは海に行けなくなる!」と思って我慢していたところ、どうしようもなく痛くなって、夜に病院に行く と「盲腸」と診断され、緊急手術で約1週間ほど入院したことがあります。きっと、「どこかへ行く」ということがよほど好きだったのだと思います。鬼ごっこをしていて、屋上の階段から下の屋上に飛び降りて、 右腕を骨折してしまい、ギブス姿で伊勢神宮に修学旅行にいったこともありました。 振り返れば、病弱でも活発だったのかもしれませんね。
中学校の時に、河内長野市の千代田南町に引っ越してきました。当時、庭で畑を作って、トマト、なすび、トウモロコ シ、きゅうり、サツマイモ、スイカを育てたことは、いい思い出です。引っ越してからも、セミの声がうるさく聞こえる夏の暑い日に、 遠くの友人の家まで自転車で行って、くたくたになって帰ってきていました。
高校生になると、空手部と演劇部に所属して、青春を楽しみました。 空手部なんかは超体育会系で、無断で練習をサボったら、ウサギ跳び200m後に約1時間正座です。太ももが焼けるような痛みで、本当に大変でした。
高3になって、進学先をどうするかというときは、祖父も父も歯科医師だったことや、いろいろなものを分解して、組み立てることも好きでしたから、 迷わず歯科医師の道を選ぶことにしました。
無事、合格できたときはとても嬉しかったです。
歯学部時代 やはり大学は高校までとは周りの雰囲気が違います。 そして、「大学生でないとできないこと(主に部活なんですけど...)をやろう」と思い立ち、 気づくと、漕船部(ボート部)に入部していました。
そこはとにかく練習が厳しくて、1年目は何回辞めようと思ったかわかりません。 2年生になり下級生ができると、自覚ができたのか、あれだけやめたいと思っていた気持ちが、ウソのようになくなりました。
しかし、練習は厳しくなり、学校の授業が終わると夜遅くまで練習です。 その成果もあって、2年は全日本で3位、3年では全日本で4位の成績を残すことができました。 このときにつけた体力は今でも本当に役立っていますし、がんばってよかったと思っています。
さて、歯学部は厳しくも楽しい部活だけでありません。5年生、6年生にもなると、国家試験が頭にちらついてきます。私が国家試験を受けた頃は、99%受かるのが当たり前(今は60~70%くらい)だったのです。
受かって当たり前、 人並みにやれば受かると思っていましたが、それなりにプレッシャーがありました。 やはり1回で受かるように一生懸命勉強をしたのが功を奏し、無事合格できて大変うれしかったのを覚えています。
歯科医師になってからは、茨木の友紘会病院の歯科・口腔外科、行岡病院の歯科・口腔外科に勤務しました。茨木にいたときは、特に救急患者、あごの骨の骨折の手術などが多く昼食が取れない日が多くありました。
交通事故の患者さんは救急で運ばれてくるため、歯科の一般治療が予約通りに治療できないのが悩みでした。
当時、交通事故による事故や怪我のひどさを毎日目にしていました。その頃はエアバッグやシートベルトの着用の義務化も言われていない時代だったので顔面の怪我は現在よりもひどく、交通事故による上下のあごの骨折治療、歯が折れてしまったりが多かったのが印象に残っています。
バイクの事故のひどさは目を覆うようなケースが多かったです。やっぱりヘルメットとブーツの着用は必要と感じました。
また、一般の歯科医院からの親知らずの抜歯依頼も多く、難しい症例の”水平埋伏抜歯”もメスを入れてから15~20分で確実に抜歯することができるような技術を確立できました。それに、数多くの症例をこなしてきたため、腫れや痛みを最小限にする方法を確立させることができました。
公園のブランコに顔をはさまれて、救急車であっちこっちの病院に転送され、大阪市内から2時間以上かかってきた小学生の男の子の治療をしたときに、ご両親に本当に喜んでいただけたのは、当時、若い歯科医師だった私にとって、とても印象に残っています。
勤務していた行岡病院で、口腔外科部長を務めた後、開業することになりました。
はじめ、茨木、箕面方面で土地を探しましたが、やはり小さな頃からなじみのある実家の近くでということになり、南花台で開業することが決まりました。
地域の方たちに貢献するため、もっと勉強を続ける必要があると感じた私は、矯正セミナー、インプラントセミナーなどに参加し開業して15年間は、ほぼ毎月1~2回セミナーに出ていました。インプラントセミナーは年10回ほど出席して、その月の日曜日が全部セミナーで詰まっていることも頻繁にありました。合計すると、2880時間くらいになります。なかなかここまで勉強される先生はいらっしゃいませんから、ちょっとした自慢です。
そしてさらに、ADIAアメリカンデンタルインプラントアカデミーに所属しています。なぜ日本の学会に所属しているのにアメリカの学会にも所属しているかと言えばアメリカのほうが実践につながる実習や訓練ができるからです。
日本では模型や動物実習しかできませんが、アメリカでは献体を使って骨移植などの実習ができます。高度な技術を習得しようとすれば、こういう実習が欠かせません。
ADIAには認定医制度が3段階あり、私は認定医・専門医・指導医の3つを持っています。最高の資格である指導医の試験はペーパー試験だけでなく、ドミニカ共和国に行ってボランティアで現地の方たちにインプラント手術を行います。それを横でインストラクターが横で採点をします。
私は2012年9月にドミニカまで指導医の試験を受けに行き3日間で30本以上のインプラントの施術をして、当時の学会の最高点で合格して参りました。
いまでは、患者様が痛みや腫れがなおって安心したときやインプラントなどの歯を入れたときに、
「こんなにしっかり咬めるならもっと早く治療しておけばよかった」
「先生のおかげでこんなに歯が残ってうれしいです」
「ここに来るまでは友人の中で一番歯の本数が少なかったのに、今ではいちばん多くの歯が残っています」
「歯がはえてきたみたいで何でもかめます」
という声をいただけるのが、本当に嬉しいです。
開業して30年と少し。これからの牛嶋歯科ですが、次のようにしていきたいと思っています。
私たちが目指すのは、
これからも、皆様に貢献できる歯科医院であり続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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休診日:木曜・日曜・祝日